弁護士前田和基(福岡県弁護士会交通事故委員会所属)

LAWYER

弁護士 前田和基

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一流の弁護士として、すべての案件に全力を注ぎます
前田和基弁護士

PROFILE

弁護士前田 和基MAEDA KADZUKI
福岡オフィス / 福岡県出身
趣味
スポーツ観戦(サッカー、バレー、バスケ、カーリング等)、麻雀
特技
バスケットボール
好きなこと
大雨の日に家で小説を読むこと
好きな食べ物
鮨、高野豆腐、チーズ
好きな音楽
マカロニえんぴつ(歌手)
好きな観光地
長野県
好きな映画
DESTINY鎌倉ものがたり、サウンド・オブ・ミュージック、ギルバート・グレイプ
休日
ドライブ、買い物
前田和基弁護士

MESSEAGE

弁護士の前田和基です。

2022年より、ここ福岡の地で弁護士としての仕事をスタートしました。

生まれのみが福岡で、地縁はあまりないのですが、福岡のみなさんに温かく迎え入れていただき、充実した日々を送ることができています。

私は、弁護士として一番大切なことは、依頼者との信頼関係を築くことだと考えています。

私がどのような人物なのか、どういった人生を送ってきたのか、弁護士になったこれからのことなど、依頼者の方にも知っていただけたらと思い、この記事を書いています。

長くなってしまったのですが、お付き合いいただける方は読んでいただけると幸いです。

CAREER

出生~小学3年生

1996年12月30日、前田家の長男として福岡県の箱崎で生まれた。両親共に九州大学医学部に在学中であったが、母親は休学をして自分を産み、学生2人で大学に通いながら自分を育ててくれた。妻には、「ここで生まれてきてくれなかったら出会えなかったよ」とたまに言われるが、本当にその通りで、親は今でも頭が上がらない存在である。


前田弁護士

福岡には3歳まで住んでいたのであるが、アパートの風呂場の景色をぼんやりと覚えているくらいで、記憶はほとんどない。親によると、博多弁をペラペラ喋っていたそう。はじめは「子どもを持つには若すぎないか」とあまり良い顔をしていなかった祖父母にも、親戚の中で最初に誕生した子どもということもあり、とても可愛がってもらっていたと聞いている。

3歳の頃、母の実家である静岡県浜松市に引越し、祖父母と両親の5人家族での生活が始まった。母がよく本を読む人であったため、自分も本を読んでみたいという感情があったのか、4歳の頃から祖母に平仮名を教えろとせがみ、小説、図鑑、理科などの本をそろえてもらいよく読んでいた。

生き物が大好きな少年で、てんとう虫の卵を拾ってきて孵して育てたり、カエル、カタツムリ、鈴虫を飼ってみたりと、楽しく暮らしていた。愛犬のチリン(母が拾ってきた雑種犬)が私の悪友のような存在で、よく一緒に庭をほじくるなどの悪事を働いていた。

年長の時、幼稚園に行きたくないと言うようになる。女の子が好むおままごとや編み物が好きだったため、女の子と遊ぶことが多く、周りの男の子たちに「女の子っぽい」と言われるのが嫌だったからという記憶がある。ただ母親や祖母と一緒にいたいだけだったような気もする。幼い頃は自己中心的なわがままな性格だったと思う。その後、弟・妹が年子で生まれ、特に妹ができてからはお兄ちゃんとしての自覚が芽生え、周りからもまじめで頼りになる男の子という評価に変わっていった気がする。

家庭の方針で、静岡にいる間は小学校に通っていなかった。兄弟の世話や家事をしたり、本を読んだり、1人でサッカーボールを蹴ったりして過ごしていた。特に学校に行かなくても楽しかった。その代わり色々な家事を教えてもらい、今では専業主夫でもやっていけるくらいの家事力があると自負している。

小学4~6年生

前田弁護士

父の仕事の都合で北海道網走郡美幌町に引越し。もちろん愛犬のチリンも一緒に引越した。移住後、高校卒業までこの地で暮らしていたため、故郷を聞かれた際には、北海道のこの地を答えるようにしている。

北海道に来てからしばらく経った小学5年生の頃から、小学校に通うことになった。最初は少し怖かったが、学校は自分が思っていたほど悪い場所ではなかった。ただ、同級生の女子との関わり方がよくわかっていなかったことから、次第に女子から距離を置かれるようになった。机を意図的に離される、近くにいると悲鳴をあげて逃げられるなど、幼い心ながらに当時は苦しかった記憶がある。担任の仲裁もあり、6年生の後半あたりにはこのいじめ的なものはなくなっていったのだが、最初から小学校に行かせてくれれば友人との付き合い方もわかったのにと、両親を心の中で責めた時期もあった。

中学校時代

小さい町のため、小学校のメンバーが全員そのまま同じ中学校に進学したのだが、小学校時代のいじめは嘘のようになくなった。バスケ部に所属し、部長になるなど快活に過ごしていた。この時期にできた友人は今でも仲が良く、良い環境に恵まれたと感じている。


前田弁護士

この頃の自分は何事にも真面目すぎる性格で、部活では部員をうまくまとめられないと毎日のように悩んでいた記憶がある。それでも同級生や顧問の先生に支えられ、自分なりに頑張っていたと思う。リーダーとして集団をまとめるためには、自分のやり方を押し付けるのではなく、みんなの話をよく聞いて居心地の良い環境を作らなければいけないということを学んだのもこの時期である。顧問の先生から指示されつけていた部活日記には、「どうしてみんな話を聞いてくれないんだ、悲しい」といった恨みつらみばかりが綴られているのも、今では良い思い出である。

仲が良かった友人が自分の初恋の人と付き合ってしまったり、人生初の彼女ができたりなど、恋愛面でも感情の起伏の多い多感な時期だった。

真面目な性格から、そこそこコンスタントに勉強もしていたこともあり、中学校では勉強ができる方だった。地元の高校に進学するにあたっては学力的に問題なく、受験期でも友人の家にたむろして毎日遊んでいた。中学校の友人は今でも仲のいい人が多く、自分の人生の中で大切な時間だったなと振り返ることも多い。

高校時代

前田弁護士

中学校時代真面目だった反動で、高校では一丁前に格好付けたいという気持ちが強くなり、前髪を伸ばしてアイロンをかけてみたり、眉毛を細く剃ってみたりしていた。いわゆる高校デビューである。そのおかげでそこそこモテていたのだが、外見はオラオラ系なのに中身は昔と変わらず繊細で真面目な性格だったため、ほとんどの子と上手くいかず、付き合ってはすぐ別れてを繰り返していた。

交友関係は広い方で、活発な子からおとなしめな子まで色々な価値観を持った人と話すのが楽しかった。

大学受験はというと、とても辛かった記憶しかない。高校が田舎だったため、勉強方法の相談や、わからないところを質問できる相手が身近にいなかったのがとても苦しかった。第一志望だった大学に落ち、合格した中央大学と地元の北海道大学のどちらに進学するか迷ったが、東京に憧れがあったこと、法学部のネームバリューから中央大学を選択した。今無事に弁護士の道に進んでいることを考えると、この選択は正解だったと思う。

大学・大学院時代

大学に入ったらアパレルとバーテンダーのアルバイトをやろうと高校生の時に決めていたため、1~2年生の時にアシックス、2~4年生の時にバーでのアルバイトを経験した。もともと人と話すことが好きだったため、接客業は性に合っており、どちらも楽しく続けられた。世代、性別、職業等関係なくどのような人とでも楽しく会話ができるようになったのは、この経験のおかげであると思う。

1~2年生は、サークルの同期と旅行に行ったり派手な飲み会をしたりなど、田舎から出てきて羽目を外す典型的な大学生であったが、3年生の時に法曹向けのゼミを選んだことがきっかけで、法曹の道に進むことを決意する。私が進路に迷っていた際、父から「やるからにはその道の頂点に進むのが一番自由な道だ」と言われたことが大きく、文系で最難関国家試験の1つである司法試験に挑戦することにした。毎日朝から晩まで勉強していたが、一緒に法曹を目指す同期の仲が良く、あまり苦ではなかった。


前田弁護士

また、3年生の時に1つ下の後輩と交際を始める。この時の彼女が現在の妻である。それまでは上手く交際相手に自分を出せず、すぐに別れてしまうお付き合いが多かったが、妻には何でも話すことができ、自分をさらけ出すことができた。それまで自分の中で欠点だと感じていた性格も、妻との関係ではプラスに働くことが多くあり、良きパートナーとしてお付き合いが続いた。妻と出会えただけで、中央大学への進学を選んで正解だったと感じている。

大学卒業後は、東京大学法科大学院に進学した。そこでは、自分とは比べ物にならない頭脳を持っている人がたくさんいることに衝撃を受けた。特に学部から東京大学の人たちの頭の回転力・思考力は凄まじく、次元の違う人が存在するという事実を知ることができたのは、とても良い経験だった。それと同時に、コミュニケーション能力や柔軟性など自分も他の人に負けていない長所があることに気づき、自分の得意なことを見つけそれを武器にしていけば、彼らとも十分に戦っていけるのではないかとも感じた。

現在

前田弁護士

大学院卒業後、無事司法試験に合格し、妻と結婚した。妻と家庭を築いていくためには、妻の実家である佐賀に近く、かつ落ち着いた場所が良いと2人で話し合い、福岡で弁護士として働くことを決意した。

専門性を持った弁護士になりたいと考えていたこと、損害賠償分野で日本一になるという事務所理念に共感したことから、小杉法律事務所に入所し、現在に至る。

最後に

今は未だ20代で未熟な部分が多く、毎日勉強しながら職務にあたっています。しかし、未熟であったとしても志は一流でありたいと思っていますし、すべての案件に全力で向き合っていきたいと考えています。依頼者の方に、前田先生に依頼して良かったと思ってもらえるような弁護士となれるよう、精一杯活動していく所存です。どうぞよろしくお願いいたします。


前田弁護士

INTRODUCTION同僚から見た前田弁護士

前田和基弁護士には、福岡一・九州一の弁護士になってほしいと思っています。

現役で中央大学法学部に進学し、東京大学法科大学院を2年で卒業し、1回で司法試験に合格していますので、苦労のない人生を送っているように見えます。

しかし、ホームページ上には書けない部分もありますが、幼少期から相当な苦労を重ねてきているように私(小杉)は感じています。

そうした経験もあってか、小杉法律事務所のクライアントである不法行為被害者に対して、非常に優しく、温かい対応をします。

新人の頃は、私と一緒に事件を受任していて、依頼者の方は初めの方は代表である私(小杉)にばかり連絡してくるのですが、数週間が経過すると、すぐに「前田先生はいますか?」という電話が掛かってくるようになるなど、依頼者の方の心を掴むのが上手です。

サービストークが上手という男でもなく、単に、一人一人の依頼者さんと誠実に向き合っている結果なんだと感じています。

また、理屈面も得意で、不法行為分野で最も難しいとされている責任論(特に過失論)に関する裁判では、学者の文献を元にして、美しい準備書面を書き上げ、裁判官から棄却見込みであると言われていた案件を勝訴に導きました。

弁護士の多くは、依頼者対応が得意なタイプと、理屈面が得意なタイプに分かれますが、前田弁護士は珍しく両方を兼ね備えた弁護士であると思います。

損害賠償請求においては、責任論においても後遺障害等級認定においても、医学分野が絡むことが多いのですが、よく嬉しそうに医学文献を読んでおり、親御さんがお医者さんということもあるのか、医学分野の知識が深く、これを損害賠償請求に上手く活かすのが得意な弁護士でもあります。

合格したのが早かったのもあり現時点(2024年)でも未だ20代と若いですが、近い将来、弁護士法人小杉法律事務所福岡オフィスの所長を任せたいと考えています。

また、不法行為被害者の方へ温かい対応をしながら、理屈面でも研鑽を続けてもらい、福岡一・九州一の弁護士になってほしいなと期待しています。

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